

「靴はつまり、人である」
新装刊されたLASTの冒頭、編集長の言葉です。
これを読んで、妙に納得。
靴に携わるものとして、偏見もあるかもしれないけど。。
例えば。
メガネは顔の一部だけれど、「メガネは人である」 には?と思う。
(メガネかけてもいないのにスミマセン・・・)
時計は大好きだし、共に時を刻むけれど、
やっぱり 「時計は人である」 もしっくりこない。
ガラスの靴が、もしも靴じゃなかったら・・・
やっぱり靴なのだ。
毎日朝から晩まで全身を支える仕事をし、
ファッションとしても、足元ひとつで印象をがらりと変えてしまう個性がある。
新品からの始まりがあって、
使えば必ず馴染み、味わいが増し、時には汚れて、傷もつく。
その表情こそが、その人の靴になる。
どうなっていくかは、もちろん自分次第。
そもそもどんな靴を選んで、どう付き合っていくのか。
自身の趣味趣向や性格が表れるのが、やはり、靴なのかな。
そして、「人である」 は自分自身なのか、近しい友人なのか・・・
そんな風に考えていたら、自分の下駄箱 (誌面には靴棚とある。)
が気になって思わずのぞきにいった。
足数とか色のバリエーション。
短靴、ブーツ、サンダル、スニーカーの割合。
中には随分と酷使したものも・・・
本棚でその人がわかる。
というようなことを聞いたことがあるが、
靴棚でも随分とわかってしまいそうな気がして・・・
かかとがギリギリまで減ってしまった2足を
明日、お店で直そうと思い
そそくさとシューバックに詰め込みました。
( 銀座店 鳥海 )